ジェンダー・フリー教育を出前で 〜NPOでの経済的自立を目指して〜
遠矢 家永子(特定非営利活動法人シーン)
労働対価を要求しない自分
あと1ヶ月で22歳になろうとする22年前の2月、グラフィックデザイナーとして勤めていた印刷会社を寿退社し、私は専業主婦になりました。
その1年後に長女を出産し、気がつけば手作りにこだわりながら、育児書片手に子育てに専念していました。
長女が2歳になろうとするころ、夫は独立し、ワンショットバーを開業しましたが、立地条件のまずさから経営はすぐに行き詰まり、店をたたむまでに時間はかかりませんでした。蓄えを使い果たした私たちは、両方の両親の援助を得ながら、ジプシーのようにあちらこちらのフリーマーケットに出向き、不用品や手作りアクセサリー、イラストを描いたGジャン等を販売し、辛うじて生計を立てながら20代の時を過ごしました。
小さな娘を抱えながら、真冬の夜は灯油ストーブを持ち出し、夏の炎天下には帽子を深々とかぶり、アクセサリー等を販売する露天商でしたが、若さ故かそれなりに楽しくもありました。しかし、夜な夜な内職し、販売にも携わっていたにも関わらず、得た収入を夫のものだと漠然と思い込み、自分の働きとしての労働対価を要求しなかったことを記憶しています。
その後、次女を授かったことや、夫の仕事の比重が販売業から卸し業へと移行したことで、私が夫と共に仕事をすることはなくなっていきました。
その後も自宅で子どもの造形教室を約7年間主宰し、少額の報酬を手にしていたものの、経済的自立について深く考えないままPTAや子ども会、生協、親子劇場、平和運動、お話ボランティアなど無報酬の活動に没頭していきました。「経済的自立を考えない」「収入を得ることに自信が持てない」−その根底に、ジェンダーの問題が潜んでいることに自ら気づくのに、ずいぶん時間を要したような気がします。
詐欺で自立に直面
そんな中で、私の生き方を左右する大事件が起こりました。バブルが崩壊したころ、卸し先の小売店主が夜逃げし、代金の回収ができず、夫は資金繰りに頭を痛めていました。それでも、どうにかこうにか商売を続けていた矢先に起こったのが、阪神淡路大震災でした。被災地に卸していた商品の代金が回収できず資金繰りに悩んでいた夫は、その弱みにつけ込まれ金融詐欺に遭いました。
もと銀行マンだった男に言葉巧みに金融機関からお金を借りさせられ、そのお金を持ち逃げされるという詐欺でした。心無い詐欺を複数の人たちに行ったその男は、その後捕まり、有罪判決を受け刑に服しましたが、金融機関を相手取った裁判では最後の最後まで勝訴することなく、抵当に入っていた義父母の家は奪われ、夫は一文も手にしていない借金と裁判費用の数千万円を返済し続けることになりました。
一家の稼ぎ手としての役割を一人で負いながら、私の生き方に一切口を挟まない夫に申し訳なさが募る中で、幸か不幸か私は自分自身のジェンダーの問題を解消すべく、経済的自立と向き合わざるを得なくなりました。
現在、私は特定非営利活動法人SEAN(シーン)の理事長兼事務局長を担い、適正といえる額ではありませんが、労働対価を得、少しずつではありますが受け取る報酬額を上げつつあります。
また、それと同時に、経済的自立に向けての自信も回復してきました。
前進は「とんがらし」
1997年、高槻市委託女性学級「かまどねこの会」の学習会で、保育が必要になったことをきっかけに「ネットワークステーションとんがらし」を結成したのが、NPOで経済的自立を目指し始めた発端でした。有償ボランティアによる会員相互扶助を主軸とした非営利組織である「とんがらし」は、2001年法人格を取得し、名称もSEAN(Self-Empowerment Action Network)と改めました。目の前に見えてくる様々な問題に取り組む中で、現在ではG-Freeプログラム(ジェンダー・フリー教育)の出前授業を実施するなど多岐にわたる事業に取り組んでいます。
法人格を取得した2001年度、民間助成金の交付を受け、2週間期間限定の「子育てママのグチグチ電話相談」を実施し、計75件の相談を受けました。その相談をとおして、共に子育てを担うべきはずの夫や、同じく協力者・理解者となるはずの親族・ママ仲間や相談機関が悩みの対象となっている現実と直面しました。
核家族化で子育ての経験はなく、儲け主義の教育情報に振り回され、自らも「良い母親像」に縛られ、地域社会から孤立し追い込まれていく姿から、生き辛さや自信の無さ、罪悪感を感じ取りました。
無自覚のまま着込んだジェンダーに気づき、それを1枚1枚脱ぎ、本来の自分を取り戻し自信回復していくには、同じだけの時間を要することは自分の経験からも実感していることです。性別による過剰なとらわれから解放され、「わたしはわたしのままでいい」とあるがままの自分を受容し、自他を抑圧することなく、人生を自分の手で選び取っていけるような、ジェンダー・フリー教育プログラムの必要性をその頃から考え始めました。
また、1997年から5年間SEANと同時並行に、私はCAP(キャップ)スペシャリストとして有償の活動を行っていました。CAPとはアメリカで誕生し、学校教育機関等でNPOが出前で実施している「子どもへの暴力防止」のプログラムです。その活動に取り組みながら、暴力の背景にあるジェンダーをテーマにしたプログラムを模索していました。
「だれもが大切にされる社会」へ
そんな矢先、民間助成金情報が会員から寄せられ、締め切り間際に慌ただしく申請書を提出し、そのことが組織だってジェンダー・フリー教育に取り組むきっかけとなりました。全国75件応募の中絞られた7件に残り、ファシリテーター養成講座、ジェンダー・フリー教育プログラム開発とパイロット事業実施及び報告書発行までを助成金事業として行いました。
2003年度、再度民間助成金を申請し、幸運なことに全国43件中の5件に残ることとなりました。公立中学校5校20クラスと公立高校3校5クラスの計25クラスでG-Freeプログラムと教員研修18回、公開スタッフ研修の実施、生徒・教職員の意識調査や自治体の男女共同参画に関する現状調査、報告書(A4判・P156/送料込み2000円)発行などを助成金事業として行いました。
「今の時代男女平等は進んでおり、女たちは強くなった」と言う人がいます。確かに、一見女生徒は元気に見えます。しかし、今回の生徒たちの意識調査から見えてきたのは、一昔前と変わらない生徒たちをとりまくジェンダー社会の現実でした。「男女間に不平等はあると思いますか?」という質問に対して「ある」と答えた生徒は、プログラム実施前66%、実施後では75%で、女生徒に限れば80%ちかくが「ある」と答えました。「社会では女の価値が低い」(女子高生)、「男子は仕事、女子は家事と決め付けられている」(男子高校生)。
「女」が「人」としてではなく「嫁」「母」として期待され過ぎることでのあきらめ・反発や順応、「男」が「主」として期待され過ぎることへの優越感・不満やそれに応えられない自他への抑圧などがアンケート調査から読み取れました。
また、G-Freeプログラムをとおして、生徒たちが自己と向き合い気づきを得た様子も読み取れました。報告書には生徒の全コメントを掲載していますが、自由記述から2つご紹介します。「ジェンダー・フリーはまず自分が他人を尊重し、理解していくことから始まるんだと思いました」(女子高校生)、「自分の生き方は自分で決めたいと思った」(男子中学生)。
「あなたはあなたのままでいい」「あなたの大切な人生を、切り開いていける力があなたにはある」。社会をジェンダーの視点で読み解き、自らのジェンダー・アイデンティティを築きなおし、多様な生き方を肯定し、暴力以外の方法で共存していくことを子どもたちに投げ掛けるために、これからもG-Freeプログラムを実施していきたいと思っています。
NPO活動での経済的自立は容易いことではありません。活動の対象者が社会的弱者である場合も多く、取り組みに対して予算化されていることは稀で、無償こそが美しいといった価値観が未だに根深く存在しているからです。環境破壊や浪費、軍事力強化に費やしてきた経済の流れを変えていくことも、NPOを運営するものの務めだと私は思っています。
弱者支援などの人権に関わる取り組みを担う労働力に金銭的評価を与え、人材を確保し活性化していく、その繰り返しの中で経済が緩やかに流れていくことが、「だれもが大切にされる社会」への第一歩であると思っています。
季刊「女も男も」(女子教育もんだい)改題no.100 2004 夏 労働教育センター発行
特集 私流で生きる