家族を考える (no.118)
「絵本の中の家族」を調査し、報告書にまとめたこともあって「家族」についての講座を引き受けるなど、
漠然と捉えてきた「家族」について、改めて考える機会が増えました。
「家族」は国語辞典に「同じ家に住む夫婦・親子・兄弟など、近い血縁の人々」と定義されています。
ちなみに、うちの高校生の娘に「家族と言えば、誰を指す?」と尋ねたところ、「母・父・姉・ねこ」と答え、
彼女にとっては同じ家に住み日常を共にしていることが「家族」の定義になっているようでした。
私は「家族」をコミュニティと捉え、その関係性においては対等性を重視し、大人と子どもや経済的、
あるいは体力的な力関係がある場合は、力を持つ側がそれを理解し、「強く優しく」関わって
いこうとする関係を築いていきたいと考えています。
「日常を共にする」ことを重視するのか、「血縁」を重視するのか、あるいは「関係性」を重視するのか、
その価値観は人それぞれですが、いま政治の世界で「家族が大事」と声高に主張している多くは、
「血縁(血統)」や「家父長制における家族役割」の復権からの声であるように感じているのは、
私だけではないのではないでしょうか。
また、歴史的な流れの中で「家」は、財産や権力の継承・獲得などの道具として使われてきた
背景もあり、国家の制度として上下関係による管理や統制が行われ、縦割りの支配関係に よる秩序が重んじられてきたと言えるかもしれません。
そして、その上下関係の延長線上で生じているのは、支配関係の温存であり、
ドメスティック・バイオレンス(DV)や虐待といった人権侵害や暴力などで、日本では
毎年約120〜130人の女性たちが夫から殺されているという現実を抱えています。
たとえ夫婦関係の中に、経済的・体力的な構造上の力関係があったとしても、個としての互いの
生き方を尊重し合うことや、互いの領域を侵害しない、干渉しないといった境界線や対等性、 そして本当の意味での「愛」があれば暴力など生じないわけです。
けれども、身近な関係における人権侵害は、「愛」という名でカモフラージュされ、
人権を踏みにじられた上に、二次被害を受けることがとても多く、新聞をにぎわす事件やその報道の あり方に憤りを覚えることが多々あります。
関心を示し、その身を案じ、情報を提供し、共に考えつつも、互いの生き方に踏み込まないことと、
力関係において、口を挟み、価値観を押し付け、干渉し、相手の生き方を支配しコントロールしようと
することとは全く別の次元のことで、それを一くくりに「愛」と呼んでしまうことにはとても抵抗を感じます。
また、成育暦の中で、本来養育義務のある大人たちから養育を放棄され関心さえ示して
もらえなかった場合や、また、後者のように親から境界線を超えて力関係の中で支配や
コントロールされ育てられた場合、その後の人生において人権が侵害されていても、
あるいは侵害しても、それを「愛」であると信じてしまう場合があるようにも思います。
「家族」をとりまく考え方や「制度」を問い直し、まず「家族」ありきで性別役割に個を
押し込めるのではなく、「個」が活かされ、尊重され、自律できる環境を整備していくことが、
家族をとりまくさまざまな問題を解決していくための手がかりになるのだと思います。
ジェンダー・フリーが目指すものは、家族の解体でも、家族破壊でもありません。
むしろ制度や血統・役割などによるつくられた関係性で「家族」を演じるのではなく、
互いを思いやり支え合う、主体的で自律した関係性を「家族」という関係性に求めることなのだと
思います。 「家族が大事」だと主張する耳触りのいい言葉の裏側を丁寧に読み解き、
今起こっている様々なDVや児童虐待といった人権侵害への対応策を具体的に考えて
いければと思います。
2005.11.17 かえこ
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