自分で選び、自分で責任を負うこと (no.82)
前回通信の最後に書いた「どなたか優しいお言葉を!」というコメントを、
見逃さなかったたくさんの方から暖かい励ましの言葉をいただきました。
心身ともにへこたれ気味の私に、たくさんの元気をいただき心から感謝しています。
目の前の数々の葛藤に振り回される日々、エネルギーを向ける矛先を転換させる
いい機会になりました。時にはわずらわしく、時には支えとなる人とのつながりを
一つ一つかみしめながら、非暴力の方法で多様性の共存を実践していければと 改めて実感した次第です。
さて、「ジェンダー」についての講座を請負ながら、参加者のみなさんからいただく
言葉で私自身の考えが明確になることがよくあります。「ジェンダー」とは、社会的・文化的に
作られる性差のこと、個人の生き方に於いて「性別」にこだわりたい人がいたとしても
自他の尊厳を踏みにじるものでない限り、とやかく言うものではないと私は思っています。
「『〜らしく』生きたい」と願うことと、「『〜らしく』なければいけない」というバイアス
(偏見・先入観・固定観念)や抑圧とは違うものです。 しかしながら、その『〜らしさ』が
自分では無自覚のままの社会からの刷り込みであったり、その『〜らしさ』とありのままの
自分の姿にギャップが生じることで自尊感情を低くしてしまうことがあります。
(性別による『らしさ』だけではなく、時には『自分らしく』ないことが自己否定につながる
ことさえあります。)
また、『らしく』生きることに頑張りすぎると、頑張らないあるいは頑張れない他者を
否定的に見てしまうこともよくあることです。
私は結婚してしばらくの間、専業主婦として過ごしました。強く望んで専業主婦を選んだ
訳ではなく、当たり前のこととして何も考えずに当時選択したことです。
今でも、その当時の私の生き方を否定し卑下する気はありません。幸いにして、夫は
「俺が食わしてやっている」という感覚を持ち合わせない人で、専業主婦という立場を
どちらかといえば楽しみながら、元来凝り性な私は「子育て」「家事」「パッチワーク」
「畑いじり」「学習」やPTA・子ども会といったさまざまな活動に没頭し、たくさんの人と出会い、
子育てを通して自分と社会と向き合い続けてきました。
ただし、自営業の夫を多少は手伝っていたにもかかわらず、その収入に自分の働いた分が
含まれているという考えはまったくなく、経済的自立に対してはどこか後ろめたさを感じ
自分の人生に自信が持てなかったことも事実です。
中高と女子校に通った私は、共学の短大に進学し「女」を意識しないで振舞う私が、
共学では異端な存在であることに初めて気づいたことを漠然と今でも思い出すのですが、
結局「女」として受けの良い生き方を選んでいったような気がします。
この不況下で専業主婦でいられることは、社会的に見れば強者の位置にいることです。
構造的な強者の位置にいることそれ事態は、悪いことではありません。強者という立場にいることを
自覚しつつ、その強者として持ち合わせる力を、何のために使うのかが今問われているのでは
ないかと思ったりもします。
そして、専業主婦を選ぶということは経済的自立を果たせない自分に自信をなくしてしまったり、
夫との関係において支配されてしまったり、あるいは支配してしまったり、その上で夫の収入が
途絶えた時やDVに遭遇した時に大きなリスクを負う、あぶなっかしい立場であることも事実でしょう。
無自覚のうちに取り込んでしまうジェンダーで、自分の人生なのに自分では選びきれずに
責任転嫁をしたり自信をなくしたり、そこから生まれる力関係で時には弱者に、時には強者に
なってしまうことに、自分や社会と向き合ううちに気づくようになり、今でも自問自答を繰り返し
ながら生きています。
ジェンダー・フリーとは性別ありきではなく、個ありきで自分の生き方を自分で決め、
その責任を自分で引き受けていくという考えです。個ありきの中に、「女らしく」「男らしく」生きたい
という選択があってもいいわけですが、自覚を持って自分の生き方を選び、責任を負う中で
エンパワーされていく世の中になれば良いなと思います。
2004.3.15 かえこ
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